序章

前回、家紋は大陸文化伝来の影響で進化していくよ〜、ってとこまで書いたと思いますが、今日はその続き。
奈良時代(8世紀)に引き続き大陸文化の吸収が盛んに行われて、平安時代の初期にまでその名残が文様の分野でも見られました。寛永6年(894年)に遣唐使が廃止されて、大陸の文化が入りにくくなると、今度は和風の文化が台頭してきました。日本人は農耕生活で生きてきたので、自然の風物に寄せる繊細な情緒を持っていました。だから大陸文化から学び取ったものを根底にし、自然の美しさを歌で詠み描きするという新しい芸術が創造されたのです。
文様においても、日本人独自の文様が表現されるようになってきました。家紋の素材というか原型のようなものは平安時代の文様から過半数取り入れられたようです。家紋に多い丸型も増えていきました。そして貴族たちが好んで、当時流行の文様の中から気に入った文様を調度品や衣装、車なんかに付けるようになりました。
現在の家紋は、その家を表すものだから、簡単にとりかえっこ〜、なんてできないものですが、当時は流行りのんとか好きなのを勝手に使ってよかったんでしょうねぇ〜。
当時の文様の代表的なものとしては、唐草、蝶、月星、木瓜もっこう)、巴、牡丹、亀甲が挙げられます。なんとな〜く想像できる模様かな。
ま・こんな感じで家紋の発生の素地は作られていったみたいです。このへんは当時描かれた多くの絵巻物に見られるらしいですよ。興味のある人は探し出して見てみるといいかもです。ワタシも時間が・・・あれば見てみたいと思います(^^)笑。